日系英国人作家カズオ・イシグロ原作の『わたしを離さないで』がTBSの2016年1月期の金曜ドラマとして放映された。英国のベストセラー作家カズオ・イシグロの作品がドラマ化されるのは世界で初めて。
主演は綾瀬はるかで臓器提供という医療のために、なんとクローン人間を作ってまるで物のように使い捨てようという、ややホラー的なSFのドラマだ。
運命に抵抗しても叶えられない時、どうすれば良いのか?現代の若者の状況とも似ている部分もある。このドラマから受け取れるメッセージとは?
物語は陽光学苑という施設で育った保科恭子(綾瀬はるか)の回想からはじまる。人里離れた場所にあり高い壁で外界との接触を拒む隔離された施設の中で共同生活を送る子どもたちは、実はクローン人間で、将来は臓器移植の献体となるために「提供者」として育てられてきた。
高学年になると、彼らは自分たちの「特別な使命」を知らされる。「天使」として他人に臓器を提供し、身を以てその命を助けるための存在であることを。「健康な体と従順な精神」、これこそが肉体提供者となるべく施された、そこでの教育?いやそれは洗脳というべきだろう。
洗脳と言えばオーム真理教のことを思い出す方もいるでしょう。あの事件からも、人間は教育の仕方によっては、通常ではあり得ないようなことまで信じ込み、行動してしまうものです。
クローンの臓器移植が日常化した世界を舞台に設定し、「提供者」としての運命に苦しむ恭子、酒井美和(水川あさみ)、土井友彦(三浦春馬)は、そんな逃れられない宿命を背負った仲間意識から、お互いに対して深い愛憎を抱くようになる。
人間の手段化という表現もあるが、私は人間を物扱いしている、と言いたい。クローン人間と言っても生物としては同じ人間であるのに、その尊厳を全く無視してこちら側の”人間”の命を救うための道具として使っている。これは究極の人間差別だ。
ここでクローン人間について、その意味を確認しておくと、無性生殖によりある個体から採った体細胞を元に同じ遺伝子を持つ個体を発生させること。つまりコピー人間をたくさん作る技術のことです。
そして日本では2000年11月30日に「ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律」が制定されており、クローン人間を作り出す行為を禁じています。違反した場合は10年以下の懲役もしくは1000万円以下の罰金、または両方の併科という重い処罰が課せられます。(京都第一法律事務所H.P.より https://www.daiichi.gr.jp/publication/scientist/p-08)
また国連においては2001年にクローン人間禁止宣言が採択されています。(ただしこの宣言に法的拘束力はない)だから世界中どこでもクローン人間は作ってはいけないことになっています。
病院内での仕事は忙し過ぎ、介護人という職業でつきあうのはやはり、臓器提供者になったクローン人間の仲間だけで、さらに一般市民と交わることは許可されていない。次第に恭子は定められた介護人という仕事の疲れから、自ら臓器提供者になることを望むようになってしまう。
限られた情報と隔離された環境の中では、彼らは抵抗しようにもできなくなってしまうのかもしれない。
やがて、残酷な使命を課せられて成人した恭子、美和(水川あさみ)、友彦(三浦春馬)の3人をめぐる愛と葛藤の日々が繰り広げられていく。
物語の前半では牧歌的な寮生活をし、後半ではセンターで次々と臓器提供システムによって殺されていく。
運命に抵抗しながらも乗り越えられず、受け入れようとして自己正当化めいてしまう恭子の姿がある。
これは、私たち自身と似てないだろうか?
このドラマ『わたしを離さないで』を通して現代の日本を生きる若者たちに「どんな状況でも命は輝くことが出来る」と感じ、今そこにある自分の人生を抱きしめてもらいたい、というのが制作陣の願いだという。
人間は置かれた環境が、良くないと分かった時、変えようとしたり、別の環境に移動しようとしたりするものです。しかしどうしても環境が変えられないなら、そこで頑張るしかない。
このテーマは今を生きる我々にも、どこか当てはまることなのかもしれませんね。私はベストを尽くす!これが人間のできる精いっぱいだと思います。
いずれにしても考えさせられるドラマです。