宇多田ヒカルは歌手藤圭子の娘というのは、けっこう知られていることだと思います。しかし彼女の父親は、藤圭子が最初に結婚していたクールファイブの前川清と思われている人もいるのではないでしょうか。でも前川ヒカルではないのでそうじゃなさそう。
藤圭子は前川清と離婚した後渡米し、そこで出会った「宇多田」という日本人と結婚したのです。そして生まれたのが宇多田ヒカルです。夫婦で娘を大変可愛がったのですが、藤圭子が亡くなった後、宇多田ヒカルは父との間に一時距離を置くときもありましたが、現在の状態はどうなのでしょう?
また宇多田ヒカルは母藤圭子の死後、母への歌を出していますが、それはどの曲なのか、調べてみました。
「女のブルース」・「圭子の夢は夜ひらく」で有名な藤圭子は最初、内山田洋とクール・ファイブのボーカル前川清と結婚(1971年)しました。当時の年齢は藤圭子19歳、前川清22歳でした。
前川清はメインボーカルをしていた「内山田洋とクール・ファイブ」で忙しくしていて、藤圭子も人気歌手として毎日忙しく、二人ともスターの絶頂期にあったんですね。
だから結婚したいと思って結婚したけれど、夫婦水入らずで過ごす時間は一切なかったそうです。その後わずか1年で、いわゆるすれ違いによる離婚となりました。その時子供はできてはいません。
その後10年たった1982年に、藤圭子は当時自身のマネージャーをしていた宇多田照實と再婚しました。翌年の1983年に宇多田照實との間に宇多田ヒカルが生まれるのです。
なので宇多田ヒカルの父親は前川清ではないということです。
二人の結婚前後の事実を調べると、次のような流れになります。
1974年 藤圭子は喉のポリープの手術を受けたが、それが原因で自分の強みと考えていた声の特徴が失われてしまったと悩むようになった。
1979年12月26日 藤圭子は新宿コマ劇場で引退公演を行い、その後渡米する。
1981年 帰国して歌手復帰。シングル「螢火」を藤 圭似子名義で発表した。
1982年 宇多田照實と再婚。
詳しい二人の馴れ初めは分かっていませんが、藤圭子が渡米した際に宇多田照實と出会い、お付き合いが始まったようです。
いったん歌手を引退していた藤圭子に、宇多田照實は歌手復帰を勧めたであろうことは推察できます。
ポリープの手術で声が変わったようですが、藤圭子の容姿の美しさや、歌のうまさはやはり相当なものだったはずですから、そのような勧めに藤圭子も同調して、歌手に復帰したのだと思われます。そして結婚にまで至ったということです。
いくつかの事実から、藤圭子と宇多田照實の関係がどのようなものだったかを、考えてみます。
①藤圭子と宇多田照實は藤圭子が亡くなるまでに離婚と再婚を6~7回繰り返している。
→この事実から分かるのは仲が良い良好な関係ではなかったということですが、離婚後に再婚したのはなぜかという点はいくつかの理由が考えられます。
藤圭子が精神的に不安定な状態になったために、一時的な感情のせいで離婚してしまい、後で考え直すというパターン。これが一番ありそうなことでしょう。
他には、離婚後に宇多田照實がお金に困り藤圭子のところに戻ってくる、というパターン。調べていくとこのパターンもあったようです。中には宇多田照實のことをヒモと言っている情報もあります。
この二つが混じりあって、離婚と再婚を繰り返したのではないかと思われます。
②藤圭子が亡くなった後、宇多田照實が宇多田ヒカルのオフィシャルサイトを通じてコメントを発表している。
出会ったころから藤さんの感情は不安定だったが、照實氏は「類い稀な『気まぐれ』な人」と受け止め、「十分に対応出来る範囲」と捉えていた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・ヒカルが5歳のころ。周囲に対して攻撃的な発言や行動が見られるようになった・・・・・・・照實氏は適切な治療を受けるように勧めたこともあったが、「このアドバイスは逆に、僕に対する不信感を抱かせることとなってしまいました。」
マイナビニュース 2013/08/26
このコメントから分かるのは、二人が結婚した当初から藤圭子には感情の不安定さが、すでにあったということ。つまり藤圭子の元々の精神状態がやや病的であったということになります。
そしてその状態が後になって益々進行して、宇多田照實が医者に診てもらうよう言ったことが、かえって夫婦の溝を作ることになり、病状もさらに悪化していったようです。
これまでの出来事を追いながら宇多田ヒカルの父親、宇多田照實の現在に至るまでの流れを見ていきます。
2002年 宇多田ヒカルは映像作家の紀里谷和明と結婚(のちに離婚)。すると、宇多田ヒカルは活動についてプロデューサーである父ではなく、夫を頼るようになり父親との間に距離が出来たと言われています。そのことで宇多田の父と紀里谷の間は険悪になり、その板挟みになっていた宇多田ヒカルは耐えきれなくなり離婚となりました。(2007年)
2010年 宇多田ヒカルはアーティスト活動から身を引いて「人間活動」に専念したいとして仕事を休業した。
2014年 宇多田ヒカルはイタリア人の一般男性と再婚。
2015年 宇多田ヒカルが第一子を出産したことがきっかけで徐々に父との確執も解消されていき2016年には宇多田照實がまた娘のプロデュースを始めている。
2018年 宇多田ヒカルは活動休止してから8年ぶりに全国ツアーを行い、6都市公演で14万人を動員した。その時父の宇多田照實もツアーに同行していたが車いすで移動することもありました。この間、宇多田ヒカルが父親のことを語ることは皆無で、父から一歩引いている状態のように見えます。母の生前にあった父親の女性問題や母の死で、仕事上は関わるけれども、父娘という部分では、わだかまりがまだ残っていそうです。
現在、宇多田照實はメディアに顔を出すことはほとんどない。『U3MUSIC』の代表者として宇多田ヒカルのプロデュースを通じて裏方として宇多田ヒカルと関り、プライベートではなく仕事上でのつながりだけとなっている模様です。
ここまで宇多田ヒカルの父親のことを中心に、書いてきましたが、宇多田ヒカルにとって一時避けていた母、藤圭子への感謝や慕う気持ちなどを取り上げたいと思います。
2016年 宇多田ヒカルは休止していたアーティスト活動を再開し、8年ぶりのアルバム「Fantome」をリリース。その中で代表的な曲として「あなた」、「道」があります。これらは、亡き母藤圭子への想いを歌っています。
さらに同じ年にNHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」の主題歌になった、「花束を君に」を出しましたがこれも母への思いを歌った曲です。
宇多田ヒカルは母を亡くした3年後に母に捧げる曲を出していますが、その前の年に男児を生んで自らが母となって、母の自分に対する思いがどういうものだったのか、はっきりと分かったのでしょう。
そのことがきっかけで音楽活動も再開し、子供のために働いていこうという気持ちになったのでしょう。そして母に捧げる歌を作りたいと考えるようになったに違いありません。それら3曲の歌詞の内容を簡単にご紹介しておきます。
「あなた」
この曲での「あなた」はもちろん母親・藤圭子さんであり、亡き母への想いを歌っています。その歌詞に『あなたのいない世界じゃどんな願いも叶わない』とか、『あなた以外なんにもいらない』というフレーズがあります。
母親に対する強い賛美の言葉ですね。
「道」
これは本人が出演するミネラルウォーターのCMにも使われていました。『私の心の中にあなたがいる』、『一人で歩いたつもりの道でも始まりはあなただった』このフレーズからは宇多田ヒカルが歌手として成功できたのは、母藤圭子がいたからだという母への感謝の気持ちが感じられます。
母がいなくなって初めて母の偉大さに気づいた、という反省にも似た気持ちも感じられます。
「花束を君に」
『愛しい人 愛しい人 どんな言葉並べても 真実にはならないから 今日は贈ろう 涙色の花束を君に』、『世界中が雨の日も 君の笑顔が僕の太陽だったよ』、『抱きしめてよ、たった一度 さよならの前に』これらのフレーズにも、宇多田ヒカルのお母さんに対する、切実なまでの愛おしさがにじみ出ているように感じられます。特に涙色の、とか僕の太陽、さよならの前に、という所はついこちらも涙がほろりと来そうな言葉ですね。
藤圭子の生前には、宇多田ヒカルは母を避ける時もあったようですが、それは母の精神的な病が災いしていたためで、いざ居なくなってみると感謝や愛おしさだけが、宇多田ヒカルの心に津波のようにやって来たのではないでしょうか。
母への思いや、懺悔みたいな気持ちもあったかもしれません、それを曲にすることで自分の母に対する気持ちの整理が出来たのではないでしょうか。
宇多田ヒカルは2016年に母への歌を発表した後も、精力的にアーティスト活動をしています。今後の益々の活躍を期待したいですし、応援していきたいと思います。