笠原将弘は【賛否両論】という人気の日本料理店の店主です。
一人でも多くの人に本物の日本料理を手軽に食べてもらいたいという考えの元に、日々頑張っています。
そんな笠原将弘と、動画にしばしば出てくる矢部さんはどういう関係なのでしょうか。
また笠原将弘の3人いる子どもたちも将来は料理人を目指しているのでしょうか。
調べましたので最後までお読みください。
【賛否両論】店主の笠原将弘と矢部さんはどういう関係?
笠原将弘のユーチューブ動画に度々出演している”矢部さん”ですが、マスターの笠原将弘とは全然タイプが異なる、この人料理人なの?って思ってしまうほどとてもやさしい顔で、いつも笑顔を絶やさないとても控えめな感じのする日本のお母さん、という人ですよね。
料理人というと、まずは男性をイメージしますし、なんか職人気質のぶっきらぼうとか、怖い感じのする人が多いように思います。
でも矢部さんはそれとは真逆なので、動画で見ていても新鮮な感じがして、つい気になってしまいます。
日本料理店【賛否両論】恵比寿店の店主は笠原将弘ですが、矢部さんはそこで料理長をしているようです。
マスターのもとで修業を積み、恵比寿本店の料理長になっているようです。
◇視聴者からサインを求められた矢部さん
笠原将弘と矢部さんが三重に出張した際、笠原将弘監修で作られた「VISON ヴィソン・笠庵」というレストランで、矢部さんはたまたま来られていたユーチューブの視聴者から、人生初のサインを求められサインをしました。
その時の写真がこれです。
このサインで矢部美奈子という下の名前まで判明しました。
ということで笠原将弘と矢部さんは、【賛否両論】の店主と料理長という間柄だと分かりました。
これは私の推測ですが、矢部さんはおそらく既婚で東京在住ではないかと思います。
【賛否両論】のホームページによれば、支店が名古屋と金沢(休業中)にあります。
笠原将弘の子どもたちも将来は料理人?
笠原将弘の奥さんは病気で亡くなっています。
【賛否両論】を開店して9年目の2012年にガンで亡くなりました。
その時笠原将弘は、店を働いている人に譲ろうとも考えたそうです。
子供が娘2人と息子1人いるので、仕事と子育ての両立ができないからです。
でもそのとき奥さんのお姉さんが独身で、子育て家事をやるので仕事は続けて下さい、と言ってくれたそうです。
それで笠原将弘は仕事を続ける決心をして、今に至っていますが、その子供たちは3人とも料理に興味がないということです。
ただ次女はカフェが大好きで、将来カフェをするようになるのかもしれません。
人の興味はそれぞれ違うので、興味ないことを無理にさせることはできません。
笠原将弘自身、ひとから車やゴルフを勧められたりするそうですが笠原将弘は全く興味がなく、料理に専念する毎日を送っています。自分の好きなことはどんどんやれるし、好きでないことはできませんよね。
【賛否両論】という和食のお店
笠原将弘は18歳から板前の修業のため家を出て、新宿の「正月屋吉兆」(正しくは下が長い吉)で厳しい修行を積みました。
しかしもともと笠原将弘は世界一のパティシエになりたいと思っていました。
テレビで見てそんな大会があることを知ったそうです。
1989年から始まり2年に一度行われている大会で、2023年には日本のチームが「クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー2023」に出場して3度目の優勝をしています。
ちなみに2位はフランス、3位はイタリアでした。
そのことを父親に相談すると、焼き鳥屋をしていた父親は、ケーキではなくて日本料理なら修行できるところに声を掛けられると言われました。
それで笠原将弘は吉兆に入り、そこで9年間修業をしました。
吉兆と言えばだれでもその名前を知る、超有名店です。
そこで料理人としての基本を勉強したので、笠原将弘の腕は確かなものとなったのでしょう。
そして2000年に父親が亡くなりました。
笠原将弘は一人っ子だったので、父のお店「とり将」を継がねばと思い継ぐことにしました。
最初の1年ぐらいはお客さんが全然来なかったのが、徐々に来てくれるようになり、メニューも工夫したりして繁盛するまでになりました。
ただ焼き鳥屋で一生を終わるのは嫌だと思い、その店を閉めて、日本料理の店【賛否両論】を東京の恵比寿にオープンしたのです。
せっかく吉兆で日本料理の修業を積んだので、笠原将弘は日本料理のお店をしたかったのでしょう。
◇笠原将弘のこだわり
普通、日本料理店というとランチで1万円、夜は2~3万円はします。そういう常識を破りたい。
誰にとっても身近な日本料理店、言ってみれば日本料理のユニクロになりたい。
賛否両論をそんなお店にしたいと、笠原将弘は考えました。
そういえば賛否両論という店名もユニークですが、その看板を見ると、私もどこかで見た気がしていました。
【賛否両論】の看板はなんとなくユニクロの看板と似たデザインに見えますよね。
これはきっと笠原将弘がユニクロをイメージして看板のデザインを考えたからだと思います。
吉兆に行ったことがある、という人はそれほど多くはないと思います。庶民的ではありません。
そんな日本料理をもっと多くの人に食べに来てもらいたい、と笠原将弘は考えたのです。
どこの家にもユニクロの服があるように、日本人なら誰でも一度は賛否両論で食べたことがある、そんな風に日本料理を身近なものにしたいと考えて、【賛否両論】を始めたのです。
私ももし東京に行くことがあったら、是非【賛否両論】に行って食べてみたいと思います。
まとめ
- 矢部さんは日本料理店【賛否両論】恵比寿店の料理長で、笠原将弘は店主という関係。
- 笠原将弘の子どもは娘2人と息子1人で、3人とも料理には興味がないため、今のところ継ぎ手は居ない状態。
- 誰にとっても身近な日本料理店、言ってみれば日本料理のユニクロを目指すお店、そういう考えで笠原将弘は【賛否両論】を始めた。
笠原将弘の【賛否両論】は本物の日本料理を手軽に食べてもらうという、こだわりを持った日本料理店で、予約が取れないほど人気のあるお店となっています。
そんな【賛否両論】にお客様だけでなく、料理をやってみたいという人たちがたくさん集まってくれば、笠原将弘の目指す日本料理のユニクロになっていくのかもしれません。
今後の益々の活躍に期待したいですね。
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