神戸市中央区にある地名”東雲通”の読み方は?その意味、理由は?

東雲通という地名が神戸市中央区にあり、読み方が分からなかったので調べてみると意外にも奈良時代の言葉と分かり詳しく調べました。

地名の付け方にはいくつかのパターンがあることも判明。東雲通やその周辺には和歌からとった地名が多いことが分かったのでその詳細をご紹介します。

”東雲通”の読み方

知っていないと「とううんどおり」「ひがしぐもどおり」などとしか読めませんよね。正しくは”しののめどおり”と読みます。東雲で「しののめ」とは全く予想外です。これには訳があります。以下で詳しくご説明します。

地元の人でないと読めない地名でしょうね。

東雲(しののめ)の意味は?

まず”しののめ”とは元は”篠の目”で、これは大昔の奈良時代に笹(ささ)を編んで作った採光用の窓のことです。篠竹(笹のこと)の目からこぼれ入る柔らかな光のことも指しており、それが転じて明け方の薄明を意味するようになり、明け方を象徴する「東雲」(明け方東の空にたなびいている雲)が当て字として使われるようになりました。

意味はこういうことですが、では何故その地域にその名前が付けられたのでしょうか?

東雲という言葉を使った理由

地名の由来・・・通常の場合

  • その土地や地形の特徴から付けられる場合
    (例)横浜市は大昔の地形が”横に伸びた砂浜”であったことからその名前がつけられました。
  • その土地で起きた自然災害に由来して付けられる場合
    (例)釜や鎌のつく地名は昔津波によって湾曲型に浸食された地形を表している地名とされています。「カマ」は古語の「噛マ」に通じていて浸食の意味を持っており、過去の自然災害を伝承するためにそれを意味する言葉を地名に含めることがある。釜石、鎌倉はその例だとされています。
  • 生息する動植物に由来して付けられる場合
    (例)青森県弘前市にある狼森(おいのもり)は昔ニホンオオカミが多く生息していてその名前が付けられています。その地方では狼(おおかみ)の字をおいぬ、おいの、おいなどと読んでいます。
  • その地域の経済を反映した地名
    (例)京都市にある百足屋町(むかでやちょう)。この名前は新町通りにあった「百足屋」という豪商の名前にちなんだもの。

「東雲」の場合は別のパターン

その昔713年天明天皇は「諸国の郡、郷の名は好字をつけよ」と詔勅した。好字とは縁起の良い文字という意味で、良い名前を付けなさい、ということです。又927年には「好字二字をつけるべし」とする延喜式が公布されました。延喜式とは平安時代の法令のことで、それ以降は土地にまつわる事柄に関係なく二字の漢字を使った佳名(好字と同じ意味)が付けられることになり、当て字も多く使われました。

「東雲」の場合はこのパターンに当たり、明治34年耕地整理され、道路が完成した際につけられましたが、この辺りは芦の屋の里と呼ばれていて平安・鎌倉時代の歌人藤原家隆が詠んだ歌「短か夜のまだふしなれぬ葦の屋のつまもあらわにあくるしのゝめ」(新勅撰和歌集)があり、これからとったと言われています。

出典は明治書院発行の新勅撰和歌集(中川博夫著、平成17年6月25日発行)巻第十九、雑歌四の中の1284番目にある藤原家隆の和歌です。

「つまもあらはにあくるしのゝめ」とは、その本の注釈によると、軒端もはっきりとしらむ夜明け方よ、という意味になります。

(なお、[東雲通、読み方]で検索するとウィキペディアで「みつか夜のまだ臥し慣れぬ・・・」という歌から採ったとなっていて引用した歌の一部が違っています。)

地名を考えることを任された役人が「芦の屋」という言葉を頼りに、その言葉が使われている和歌を探して、この歌にたどり着き「東雲」という言葉を見つけて採用したものと推測されます。風流なのは良いですが、現代人にとっては読み方が分からず難読地名となっています。

地名「しののめ」という名の食堂がある

その地区を歩いていると、そのものずばりの「しののめ」という名前の食堂があった。定食屋さんといった感じのお店のようで地元の人に愛されているお店みたいです。

このお店は漢字を使わずにひらがなで「しののめ」としたのは、やはり読み方が分からない人も多いからでしょうか。住所は神戸市中央区東雲通 1-7-4です。

大通りから少し入った所にあるので、通りがかりではなく常連さんが利用してそうです。

東雲通以外にもその周辺には和歌からとった地名が多い

東雲通の周辺の地図をイラストにしてみると次のようになっています。

東雲通の周辺には和歌からその名を取ったと思われる地名が集まっている。

地図にあるように東雲通周辺には八雲通、日暮通、旭通、雲井通、琴ノ緒町とすべて和歌からとったと思われる地名が集まっています。八雲通から順にその読み方と由来を解説していきます。

八雲通(やぐもどおり)

八雲と言えば先ず最初に思い浮かぶのは、小説家の小泉八雲(こいずみやくも)ではないでしょうか。実はこの小泉八雲の八雲も八雲通と同じく和歌からとったものなのです。小泉八雲が一時住んでいた松江市は昔、出雲国というところで、その出雲国にかかる枕詞が「八雲立つ」だったことから八雲という名前にしたそうです。

もちろんこの場合の八雲の読み方は「やくも」で、八雲通の方は「やぐも」となります。

この地名な場合は、「やくも」ではなく「やぐも」と読みます。

八雲通は「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」という日本で最初の短歌と言われているこの歌からとったと言われています。意味は「出雲の国の周りに幾重にもかかっている雲のように、妻を籠らせるための八重の囲いを家の周りに作ろう。」というような意味です。

そしてこの歌の作者はなんと須佐之男命(すさのおのみこと)で「古事記」の中に出てくる歌です。

八雲通から北東方向へ2.6km程行ったところに、その須佐之男命を祀った素佐男神社(すさのおじんじゃ)もあります。住所は神戸市灘区岸地通2丁目1ー8です。

「すさのお」は須佐之男ではなく素佐男となっていますが意味は同じようです。

須佐之男命による歌から八雲という地名を選んだ可能性を感じます。

また八雲通のすぐ近くには生田川公園(神戸市中央区若菜通6丁目5)があって、そこには次のような「歌碑」も立っています。

この歌碑には須佐之男命が「素戔嗚尊」となっている。古事記では須佐之男命、日本書紀では素戔嗚尊が使われている。

日暮通(ひぐれどおり)

この地名は「布引の滝見て今日の日は暮れぬ一夜宿かせ峰の笹岳」(澄覚法親王)という和歌からとったと言われています。鎌倉時代の当時から布引の滝は日本三大神滝と言われ、全国の中でもその名前は知られていたようです。

日暮れの「れ」を抜いて日暮通としているので、読み方はやや難しいかもしれません。

この日暮通から北西に1km程行ったところに布引の滝がある。

旭通(あさひどおり)

この地名は西園寺実氏の「呉竹の夜の間に雨の洗ひほして朝日に晒す布引の滝」から付けられたと言われています。

私は文学はあまり得意ではないですが、この歌の意味は次のようなものだと思います。

夜の間に長い布を雨が洗い流して、翌朝朝日に晒してまるで干しているかのように(布引の滝は)見える。つまりあの長く荘厳な滝の流れを白い長布に喩えて、布引の滝の美しさを表現した歌ではないでしょうか。

いずれにしてもその朝日を旭に変えて地名としたと考えられます。旭の字は朝日よりも、より縁起が良いイメージがあるのでそうしたのではないかと思います。

日暮通と同じく旭通から北西に1km程行けば布引の滝がある。

雲井通(くもいどおり)

雲井通も旭通のすぐ南に位置するところなので、ここも布引の滝に因んだ和歌から付けられています。平安時代の藤原隆季(たかすえ)の歌「雲井よりつらぬきかくる白玉をたれ布引の滝といひけむ」からとったと言われています。

雲井とは雲居の当て字で、雲のある所、つまり高いところ、空の意味です。歌の意味は、雲のあるような高い所から山の水が落ちてくる、この滝を誰が布引の滝と名付けたのだろう、すごい景観だ、というような意味だと思います。

この場所から西へ200m程行くとJR三ノ宮駅で布引町4丁目となる。

琴ノ緒町(ことのおちょう)

この地名は明治32年に紀貫之の布引の滝を詠んだ和歌「松の音 琴に調ぶる山風は 滝の糸をや すげて弾くらむ」から付けられたとされています。

この歌は、松に吹く山風の音は琴の調べのようだが、その琴は布引の滝の水を糸としてすげて弾いているのだろう、というような意味でしょう。

なお琴の緒とは琴に張る弦のことで、布引の滝の水を表しているという事になります。

琴ノ緒町はJR三ノ宮駅から北側の東の地域です。布引の滝までは1km弱です。

まとめ

  • 神戸市中央区の東雲通はしののめどおり、と読む。
  • しののめとは明け方の薄明を意味する。
  • 通所の地名はその土地の地形、特徴から付けられる。
  • また自然災害の伝承、生息する動植物、地域の経済などを反映させる地名もある。
  • 東雲は二字の佳名というパターンによって付けられた。
  • 東雲通の周辺には和歌からとった地名が多い。

日頃何気なく目にする地名の由来を調べると、なるほどという場合もあれば、意外な理由で付けられているケースもあって面白いものだなと感じました。皆様も自分の住んでいる地域で分からなかった地名を調べてみてはいかがでしょう。

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