アコヤ真珠ロングネックレスの歴代記録!最長は何メートル?

真珠業界では過去に何度かとてつもなく長い、超ロングネックレスを組み上げたことがあります。その初回は神戸の業界団体であるPCK協議会が1987年に作った「80mのネックレス」です。
(PCK協議会については、このブログの中の記事「神戸の真珠業者の団体をご紹介!神戸まつりで毎年出店のイベントとは?」に詳しく説明しているので参照してください)

このネックレスを作るきっかけは何だったのか、そしてネックレスはその後どのように扱われていったのか、などについてこの記事では詳しく解説しています。

ギネス記録に興味のある方、アコヤ真珠をこよなく愛している方に向けて超ロングネックレスという、人を最大限にひきつけるイベントについて正しい情報を提供いたします。

80mのネックレスを作るきっかけは?

1987年、昭和62年は真円真珠養殖技術の発明から80周年になることを記念して、神戸のPCK協議会は真珠業界を代表して80mのネックレスを作るというイベントを行いました。

当時はいわゆるバブル時代ということもあり神戸の真珠屋さんも非常に元気で、広報活動に対しても積極的な会社が多かったと思います。そういう背景も手伝って「よしっ、80mのネックレスを作ろうか!」というアイデアがまず、PCK協議会の議長の頭に浮かんだことが発端でありました。若手の会員もみんな元気いっぱいでしたから、そのアイデアには全員賛成で、すぐやろうという感じでした。

80にちなんで使った真珠のサイズは8ミリです。

今では8ミリのネックレスもそこそこ一般的になってきていますが、当時では8ミリのネックレスというと大珠で高級品というイメージでした。そういう8ミリの真珠を9,983個も使ってネックレスを作るという前代未聞の壮大なイベントだったのです。(8ミリの珠は8.0~8.5ミリの真珠ですので、計算上は9800個もあれば80mの長さになりますが、余裕を考えて少し多めの数の珠を出したのだと思います。)

真珠を提供したのは地元のタカハシパール(株)で、実はその会社の副社長さんがPCK協議会の議長をしておられました。議長さんの頭にこの構想が浮かんでから、社内で1万個近くの8ミリの真珠を業界イベントに提供すると伝えたときの社内の反応などは不明ですが、おそらくイケイケだったんじゃないかと私は思っています。

出来上がった80mのネックレスは時価1億円とも言われていましたから、その真珠を提供したこの会社は随分と業界に貢献したということですよね。

製作の様子

ネックレスの製作にはPCK協議会の若手のメンバー25人が参加して、日本真珠会館の4階会議室を主に使って行われました。

日本真珠会館の4階で80mのネックレスを製作しているところ
PCKの若手のメンバーが80mのネックレスを作っている様子。1987年日本真珠会館の4階にて。

針を使って真珠を一つ一つ通して行く作業をする係りは一人で、他の大勢のスタッフは80mの糸が絡まないように手分けして作業をしていました。

写真でかがんだ人が二人でしているのは、絡んでしまった糸をほどこうとして苦労している場面です。通せた真珠は絡まないようにして、しばらくは4階のテーブルの上に置いていましたが、通せた真珠を80m先まで滑らせて行かなければなりません。

80mの糸に真珠を通して行く訳ですから、4階の会議室だけで80mもの糸を操りながらしようとしても、糸が絡まってしまいます。そこで糸の80m先の端を持ったスタッフが4階から3階へ、3階から2階へと降りていき、結局日本真珠会館の4階から1階までを使ってやっと80mの糸が絡むこともなく長く伸ばすことができました。

4階では次々に真珠を糸に通していましたから、他のスタッフは通せた真珠を次々に3階、2階、1階へと走って移動させていったのです。バケツリレーのような形で9,983個の真珠を先へ先へと順送りにしていき、どんどんネックレスが出来上がっていきました。

この制作に使った糸は通常のナイロン糸ではなく、糸に樹脂を含侵処理して強度を上げたものでした。8ミリの真珠が9,983個つながると、その重さは8kgを超えます。その重さに耐える糸でないと途中で切れる恐れが出てきます。

当時の記録で、この作業が完成するのに13時間かかったとありました。私も参加しましたが、朝早くから始めて日も落ちて夜になり、暗いので電灯をつけ遅くまでかかった記憶があります。

私も3階から2階、2階から1階へと糸に通った真珠を先へ先へと滑らせ送っていく作業をしていました。この翌年に私は結婚したので、このイベントは独身時代の楽しい思い出として今も残っています。

80mのネックレスを神戸まつりのパレードに出した

80mのネックレスが完成した後、ちょうど神戸まつりの時期になっていました。そこで会議をした結果、なんとお神こし(みこし)を作ってそこに80mのネックレスをディスプレイして皆で担いでパレードをしようということになったのです。

お神こしは三角すい形の高さ2m以上ある大きなもので業者の方で作ってもらいましたが、かなり巨大なもので20数名で担いでも肩に神こしの木材が食い込むぐらい非常に重いものでした。ネックレスを神こしに取り付ける作業はディスプレイの業者さんがしたのですが、出来上がった神こしを最初に見たときの感想は、80mもあるようには見えない気がしました。

でも20数名のスタッフがおそろいのTシャツを着て、重い神こしを担いで行進する姿で驚きとか感心が伝わっただろうと思います。

また神戸まつりの当日は少し雨が降っていて、その中でのパレードだったのでなかなか大変でしたが、大雨にはならずなんとか無事に終えることができました。終わった時は「やったぜ!」という感動がスタッフ全員からあふれていました。

PCK協議会は神戸まつりで80mのネックレスを神こしに乗せてパレードをした。
小雨が降る中をPCKの若手のメンバーは80mのネックレスを神こしに乗せて神戸まつりのパレードに参加した。

パレードの後80mのネックレスはどう使われたか?

神戸まつりのパレードに参加したのと同じ1987年の7月25日、神戸の北野国際祭りというのがあり、そこで80mのネックレスがパールプリンセス(真珠振興会が行っていたミスコン事業)とともにお披露目されました。

二人のパールプリンセスの首に何重にもネックレスを巻き付け、それでも余るので手に取ったり他のスタッフさんの首にもかけたりして、ネックレスの美しさと圧倒的な長さをご来場の皆様に見ていただきました。

1987年北野国際祭りにてパールプリンセスがPCKの80mのネックレスを首に巻き付け、手に取って見ている様子。
1987年北野国際祭りにて。パールプリンセスは80mのネックレスを手に取り楽しそうに見ている。

また真珠振興会が行うパールプリンセス選考会というのがあり、その最終審査会の会場でも披露されたり、写真雑誌のフライデーにも取り上げられました。

フライデーの取材の際はPCKの若手のメンバーも駆けつけましたが、北野の異人館の庭でモデルさんを4~5人横一列に並んでもらい、その首や体にネックレスを巻き付けて撮影。もともときれいなモデルさんがネックレスを身につけるとさらに美しく見えました。

また、真珠業者が行う真珠販売会でも展示用として使用されたりもしました。

80mのネックレスはインパクトのある映像により、真珠を分かりやすくアピールできたと思います。

このように引っ張りだこという感のある名物のような存在になった80mのネックレスでしたが、20年ほどたった後お役目終了となり、最終的には糸を切り、タカハシパールに戻されることになりました。

ギネス認定された超ロングアコヤパールネックレス

PCK協議会が80mのネックレスを作り、さまざまな場所で披露された後、真珠業界では伊勢や愛媛の真珠生産地の人たちがそれに対抗するように超ロングネックレスのギネス記録競争となっていきました。

PCK協議会が作った80mのネックレスは、純粋に真円真珠80周年記念の意味の製作でしたからギネスには申請しておりません。もし申請していたら、おそらく認定されていたことでしょう。

その後の記録競争をまとめますと・・・

1)1995年 阪神淡路大震災の年、阿児町観光協会による108mのネックレス
2)2006年 愛媛県宇和島で187.25mのネックレス
3)2010年10月22日「真珠祭り」に合わせて志摩市観光協会が222mのネックレス
 (これらはすべてギネスに認定されました。現在のアコヤ真珠による超ロングネックレスのギネス記録は222mです。)

神戸に居てそれらのギネス記録の話が伝わってきたとき、自分たちの方が先駆者なんだという自負心とともに、われわれに負けたくない人たちが真珠業界に大勢いるのだなと感じました。

80mのネックレスが今は残っていないことが少し残念には思いますが、良い思い出として参加したメンバーの心の中には焼き付いているはずです。

まとめ

  • 80mのネックレスは1987年に神戸で真円真珠80周年を記念して作られたもので、業界でその後も作られた超ロングネックレスの先駆的なものとなった。
  • 超ロングネックレスを作るというイベントは、その制作を通して業界の人たちの結束や親睦を図るのにも良いことだ。
  • 超ロングネックレスは非常にインパクトが強く、真珠をアピールする力がある。
  • 真珠業界には、超ロングネックレスのギネス記録を更新したいと考えている業界人が多くいる。

将来またどこかで、超ロングネックレスの記録更新を目指す団体が出てくるだろうと私は思っています。そういう気持ちを持つことが、きっと業界を盛り上げていく力になるはずです。

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